ワクチンで・・・

私が小児科医になった40数年前は、ワクチンは一部に限られ、効果も不十分でした。子どもの病気は大多数が感染症で、それで亡くなったり、後遺症が残ったりすることが多かったのです。小児科医の仕事は感染症との戦いでした。

麻疹(はしか)は、どんな子どもも一度はかかるもので、「はしかみたいなものだ」という慣用句は、だれもが一度は若い時期に経験するもの、という意味でよく使われていました。ワクチンが始まったのは1972年で私の研修医時代はもうずいぶん減っていましたが、1回接種だったので十分な予防効果はありませんでした。医者になって初めて担当した死亡した患者さんははしかの脳炎の女の子で、けいれんがとまらず、入院して亡くなるまで意識は戻りませんでした。水痘(水ぼうそう)になると、全身みずぶくれの発疹がたくさんできて、きれいに治るか心配だったものです。流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)は、耳の下が腫れて痛いのですが、病気自体より合併症が問題でした。髄膜炎は多かったし、男子では精巣炎で睾丸が腫れて、無精子症になる人もいました。最近では、聴力障害が後遺症で多いことがわかってきました。風疹(三日ばしか)は、病気自体は軽いのですが、妊婦が感染すると胎児に影響が出て、先天性風疹症候群(心疾患、難聴、白内障など)の赤ちゃんが数多く生まれていました。あとからではどうしようもないのです。百日咳も乳児がかかると呼吸障害がひどくて命にかかわります。2か月になったらすぐワクチンです(5種混合)。

研修医のころ、乳児の髄膜炎は重症な病気で、それを起こすインフルエンザ菌は今ワクチンで激減しました。乳児の髄膜炎は1/3は死亡し、1/3は後遺症が残り、回復するのは1/3でした。ロタウイルスも重症な胃腸炎を起こす病原体で、乳児がかかると重症化しやすく、長いあいだ点滴治療が必要です。伝染力が強いので、病室がまるごと隔離部屋になり、6~8人の乳幼児がまとめられ、「ロタ部屋」と呼ばれていました。

これらの感染症は、ワクチンの普及によってもうほとんど見なくなりました。若い小児科の先生方は教科書でしか知らないでしょう。本当にありがたいことです。でも、日本は恵まれていますが、多くの開発途上国ではまだ多くの子どもたちが予防できる感染症で死んでいるし、大人の戦争によって死ぬ子どもたちもたくさんいます。子どもたちの命は健康は、大人が守らねばならないのです。

医療法人 創和会 かめさきこども・アレルギークリニックは豊中市(緑地公園駅近く)にある、小児科・アレルギー科の専門医です。

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